語学学習の壁と、それを越える、たったひとつの事。

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BLOG版エルランの見た夢と

嫌で、外国語を勉強する人はいないだろう。 もちろん、仕方なく学ばなければならない状況は、あるかもしれないが。。
しかし、普通書店の語学コーナーにいる人たちは、ある程度語学に関心があるので、迷いながらも、いろいろな方策を考え、試したりする事だろう。

私は語学の勉強が好きだった。そして英語を流暢に話す自分自身は、少し格好いいのではないかと想像して留学に行くことにし、自分が工面できる予算を考慮して、ニュージーランドを選択した。

当時、韓国ウォンは、それほど認知度がなく、円はとても強かった。

それで日本の留学生たちは、NZ国内の旅行にもたくさん行っていた。円高は、とてもうらやましかった。

ランゲージスクールでの筆記テストの結果、私はセカンドハイストクラスに入った。 文法中心のテストだった。

先生はクリーブ・ブラウン。

キウイで(ニュージーランド人をキウイと呼ぶ)深い感じの青い目をしていた。 背は普通で、若いのに少し前髪が禿げている。

笑う時、目元のしわが暖かい感じを与えるのが、魅力的だった。 もともとは、小学校の教師だったという。

日本と韓国で英語を教えたことがあるからか、アジア人に対しての理解度が高かった。

クラスには韓国人、日本人、インドネシア人、台湾人、ヨーロッパ人、そして、あまり見知らなかった

タヒチ人、10~12人程度であった。

クリーヴの授業は私の緊張をほぐしてくれた。 ユーモアのセンスが優れていて、いつも生徒たちを笑わせた。

英語というのは結局コミュニケーションの手段であり、面白く話していくのは対話の技術だと思った。

私は韓国で感じられなかった、授業の楽しさを感じた。

クリーヴはいつも、ニュージーランドを楽しんで、感じてほしいとよく言っていた。

そしてニュージーランドに、自負心を持っていた。

英語という言語手段で、私は知らなかった国の人々と友達になって行っていた。 とても自然に。

私の生活は単調だった。 学校に行って授業を受けて、クイーンズ・ストリートにある図書館に行って、勉強をした。
図書館の職員たちは親切で、自由な雰囲気の図書館だった。

私は時々マンウォッチングをしたりした。 人を見ているのが好きだった。本を読んでいる人たちの雰囲気も自由で、

リラックスしているようだ。この国の人々の表情は概して安らかで、私の緊張感を和らげてくれた。

肌の色が違う多くの国の人々が本を読んだり、本を探したりする姿が、「私がこの国に来たんだ」、

という感覚を満たしてくれる気がした。

その当時、図書館に向かう途中、というウィットクールという大型書店の前には、Mr .Beanの等身大の写真の、立て看板が立っていた。

Mr.Beanの全盛期時代だということを教えてくれた。

ニュージーランドは小さなイギリスのようだ。 通りの名前や地名もイギリスと同じものが多く、英語の発音もイギリス式だ。

ところで、私は、思ったほど英語が上達せず、焦りがあった。

ライティングのために私は日記を英語で書き始め、その日記をクリーヴに見せ、間違ったところをチェックしてもらっていた。

ラジオを大きくつけてリスニングをし、学校では韓国人より他の国の人たちと、英語で話そうと努力した。

このような焦りはおそらくすべての生徒にあったのではないかと思う。

言語というのは、ステップ・バイステップには、なぜか進展しない。絶対に、そうならない。

言語的な特別な素質を持って生まれた人もいるだろうが、普通の人たちは、似たり寄ったりの、道行きだと思う。

成果がなかなか上らなくても、一生懸命にやっていると、自分自身が知らない瞬間、

はるかに高い水準に達していることを、感じるようになるに違いない。

そしてきっと、今も昔も変わらないのは、結局英語は、私と他の人々を知るための重要な手段であり、

手掛かりなのだという気がする。

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랭귀지 스쿨에서 필기 테스를 본 후 나는 세컨 하이스트 클래스 반에 들어갔다. 문법 위주의 테스트였다.
선생님은 클리브 브라운,
키위이고(뉴질랜드인을 키위라고 부른다) 깊은 느낌의 파란 눈을 가지고 있었다. 키는 보통이고, 젊은데 약간 앞머리가 벗겨져 있다.
웃을 때 눈가의 주름이 따뜻한 느낌을 주면서 매력적이었다. 원래는 초등학교 교사였다고 한다.
일본과 한국에서 영어를 가르친 적이 있어서 인지 아시아인에 대해 이해도가 높았다.
클래스에는 한국인 일본인 인도네시아인 타이완인 유럽인 그리고 익숙하지 않게 느껴졌던 타히티인, 10~12명 정도이다.
클리브의 수업은 나의 긴장을 풀어주었다. 유머 감각이 뛰어나 항상 학생들을 웃게 만들었다.
영어라는 건 결국 커뮤니케이션의 수단이고, 재미있게 이야기해 나가는 건 대화의 기술이라는 생각이 들었다.
나는 한국에서 느끼지 못했던 수업의 즐거움을 느꼈다.
클리브는 항상 뉴질랜드를 즐기고, 느끼라는 말을 자주 했다.
그리고 뉴질랜드에 자부심을 가지고 있었다.
영어라는 언어수단으로 나는 알지 못했던 나라의 사람들과 친구가 되어 가고 있었다. 아주아주 자연스럽게.
나의 생활은 단조로웠다. 학교에 가서 수업을 듣고, 퀸스트리에 위치한 도서관에 가서 공부를 했다.
도서관 직원들은 친절했고 자유로운 분위기의 도서관이었다. 나는 가끔씩 맨워칭을 하곤 했다. 사람들을 보고 있는 것이 좋았다.
책을 읽는 사람들의 분위기도 자유롭고, 편안해 보였다
이나라 사람들의 표정은 대체로 편안해 나의 긴장감을 덜어주었다.
피부색이 다른 여러 나라 사람들이 책을 읽거나 책을 찾는 모습들이 내가 이나라에 왔구나 라는 감각을 채워주는 기분이 들었다.
그당시 도서관으로 가는 도중에 휘트쿨이라는 대형 서점 앞엔 Mr Bean의 사진이 서있었다.
한창 Mr Bean 의 전성기 시대라는 걸 알려주었다.
뉴질랜드는 작은 영국 같다. 거리 이름이나 지명도 영국과 같은 게 많고, 영어 발음도 영국식이다.

그러나 내가 생각한 것 만큼 영어가 늘지는 않았고, 초조한 마음이 있었다.
라이팅을 위해 나는 일기를 영어로 쓰기 시작했고, 그일기를 클리브에게 보여주고 틀린 곳 체크를 받았다.
라디오를 크게 틀어 놓고 리스닝을 하고 학교에선 한국사람 보단 다른 나라 사람들과 영어로 이야기를 하려고 노력했다.
이런 초조함은 아마 모든 학생들에게 있지 않았을까 생각한다.
언어라는 것은 1+1이 절대 되지 않는다. 언어적 소질을 타고난 사람도 있겠지만 보통 평범한 사람들은 비슷하리라 생각한다.
열심히 하다보면 내가 알지 못하는 순간 훨씬 높은 수준에 도달해 있는 것을 느끼게 된다.
그리고 결국 영어는 나와 다른 사람들을 알아가기 위한 중요한 수단인 것이다.

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